It's me It's me It's me O Lord
Standin' in the need of prayer
It's me It's me It's me O Lord
An I'm standin' in the need of prayer
That's my mother or father but It's me O Lord
Standin' in the need of prayer
That's my deacon or my leader but it's me,O Lord
Standin' in the need of prayer
It's me It's me It's me O Lord
Standin' in the need of prayer
It's me It's me It's me O Lord
An I'm standin' in the need of prayer
主よ 私です 救われたいのは
主よ 私です 救われたいのは
母ではなく 父でもなく
救われたいのは私です
姉でもなく 兄でもなく
救われたいのは私です
主よ 私です 救われたいのは
主よ 私です 救われたいのは
黒人霊歌です。解説しなくても、魂の叫びが伝わってくるような歌詞です。
でも、救われなければならない、そう、救いが必要なのは奴隷状態にあったときの黒人たちだけではありません。
そう、まさしくこの詩のように、私であり、あなたです。
今、あなたがどんな状況にあるかわかりませんが、神様はあなたを必ず救い、解放してくださいます。
“主よ 救われなければならないのは他でもなくこの私です”
謙虚に神様の助けを求める者でありたいな・・・と、思わされませんか?
☆このブログは日本福音宣教会のサイトの中のコーナーです☆
2007年07月20日
2007年06月19日
つみとがをゆるされ(聖歌232)
罪・咎をゆるされ 神の子となりたる
わが魂の喜び 比べうるものなし
※日もすがらあかしせん 世もすがら主をほめん
み救いはたえなり み救いはくすしと
主に全く従い 安き得しわが身に
天つ家の歌声 響き来る心地す
※おりかえし
主のものとせられし わが身こそ幸なれ
感謝なき日はなく 賛美なき世はなし
※おりかえし
この喜びに満ちた詩の作者は、ファニー・J・クロスビー(1820〜1915)
は、一歳にも満たないとき、医者の不適切な処置のために視力を失い盲目となりました。しかし、神を信じて生きた彼女の心は希望と喜び、平安に満ち溢れた幸せなものでした。そして、彼女はその生涯で何千曲もの賛美歌を書き残したのでした。
現代、五体満足でありながら心がすさんでいて“不幸”の中にいる人が多すぎる気がします。無くてならないものは多くはありません。神とともに生きる幸いな人生を一人でも多くの人が知ることができますように。
わが魂の喜び 比べうるものなし
※日もすがらあかしせん 世もすがら主をほめん
み救いはたえなり み救いはくすしと
主に全く従い 安き得しわが身に
天つ家の歌声 響き来る心地す
※おりかえし
主のものとせられし わが身こそ幸なれ
感謝なき日はなく 賛美なき世はなし
※おりかえし
この喜びに満ちた詩の作者は、ファニー・J・クロスビー(1820〜1915)
は、一歳にも満たないとき、医者の不適切な処置のために視力を失い盲目となりました。しかし、神を信じて生きた彼女の心は希望と喜び、平安に満ち溢れた幸せなものでした。そして、彼女はその生涯で何千曲もの賛美歌を書き残したのでした。
現代、五体満足でありながら心がすさんでいて“不幸”の中にいる人が多すぎる気がします。無くてならないものは多くはありません。神とともに生きる幸いな人生を一人でも多くの人が知ることができますように。
2007年04月25日
主よ みもとに近づかん
主よ みもとに 近づかん
のぼる道は十字架に
ありともなど悲しむべき
主よ みもとに 近づかん
うつし世をばはなれて
天がける日来たらば
いよよ近く みもとに行き
主の御顔を仰ぎ見ん
1番から5番まであるので、1番と5番の歌詞を抜粋して載せました。
英国でできた曲で、最初は別の曲で歌われていたのですが、米国に伝わって“ぺサニー”という曲がこの歌詞につけてられてから、有名になりました。
日本はキリスト教国ではないので、歌詞そのものは一般の人にあまり知られていないと思いますが、映画“タイタニック”のワンシーンで流れていたので、「どこかで聞いたことがある・・・」と思われる方も多いのではないでしょうか。1912年にタイタニック号が沈没して多くの人々が犠牲になった悲劇の事故。救命ボートに乗ることができずに死を待つしかなかった乗客は、この曲を静かに歌い続けていたのです。
人生には予期せぬいろいろなことが起こります。それはクリスチャンでも同じです。でも、真に神様を信じる者は、どのような問題、困難のときにも、心に平安を失うことはないのです。たとえ、それが死を目前にするという事態であっても。なぜなら、もし死ぬことがあっても、私たちには永遠のいのち、天国が約束されているからです。このたましいの平安は何ものにも奪うことはできません。
のぼる道は十字架に
ありともなど悲しむべき
主よ みもとに 近づかん
うつし世をばはなれて
天がける日来たらば
いよよ近く みもとに行き
主の御顔を仰ぎ見ん
1番から5番まであるので、1番と5番の歌詞を抜粋して載せました。
英国でできた曲で、最初は別の曲で歌われていたのですが、米国に伝わって“ぺサニー”という曲がこの歌詞につけてられてから、有名になりました。
日本はキリスト教国ではないので、歌詞そのものは一般の人にあまり知られていないと思いますが、映画“タイタニック”のワンシーンで流れていたので、「どこかで聞いたことがある・・・」と思われる方も多いのではないでしょうか。1912年にタイタニック号が沈没して多くの人々が犠牲になった悲劇の事故。救命ボートに乗ることができずに死を待つしかなかった乗客は、この曲を静かに歌い続けていたのです。
人生には予期せぬいろいろなことが起こります。それはクリスチャンでも同じです。でも、真に神様を信じる者は、どのような問題、困難のときにも、心に平安を失うことはないのです。たとえ、それが死を目前にするという事態であっても。なぜなら、もし死ぬことがあっても、私たちには永遠のいのち、天国が約束されているからです。このたましいの平安は何ものにも奪うことはできません。
2007年03月22日
Amazing Grace(聖歌229・驚くばかりの)
驚くばかりの 恵みなりき
この身の汚れを知れる我に
恵みはわが身の恐れを消し
任する心を起こさせたり
危険をも罠をも避けえたるは
恵みのみ業と言う他なし
御国(天国)に着く朝 いよよ高く
恵みの御神をたたえまつらん
“Amazing Grace”(アメイジング・グレイス)として、これほど日本でもポピュラーに歌われている賛美歌はないと思います。でも、訳詞にもいろいろあり、その曖昧な表現のためか、この曲が黒人霊歌であり賛美歌におさめられていることを知る人は意外に少ないようです。
作詞はジョン・ニュートン(1725〜1807)。イギリス人牧師です。
彼は若い頃、奴隷貿易船の船長をしていました。やがて彼は神の前に回心し、牧師となるのですが、若い頃に自分が犯してきたその罪の深さ、愚かさを思うとき、そのような自分に注がれ続けてきた神の愛と、恵みの大きさを“Amazing”(驚くほどの)と表現したのでした。
2番以降を見ると、回心した彼の歩みの中には、恐れや危険も伴っていましたが、それらに勝る神様の恵みが絶えずあったことがわかります。
罪の大きさに関係なく“神様、許してください。”と、心から神に祈れる人は幸いです。驚くほどの神様の愛を体験することができるのですから。
あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・・(エペソ2:4、5)
この身の汚れを知れる我に
恵みはわが身の恐れを消し
任する心を起こさせたり
危険をも罠をも避けえたるは
恵みのみ業と言う他なし
御国(天国)に着く朝 いよよ高く
恵みの御神をたたえまつらん
“Amazing Grace”(アメイジング・グレイス)として、これほど日本でもポピュラーに歌われている賛美歌はないと思います。でも、訳詞にもいろいろあり、その曖昧な表現のためか、この曲が黒人霊歌であり賛美歌におさめられていることを知る人は意外に少ないようです。
作詞はジョン・ニュートン(1725〜1807)。イギリス人牧師です。
彼は若い頃、奴隷貿易船の船長をしていました。やがて彼は神の前に回心し、牧師となるのですが、若い頃に自分が犯してきたその罪の深さ、愚かさを思うとき、そのような自分に注がれ続けてきた神の愛と、恵みの大きさを“Amazing”(驚くほどの)と表現したのでした。
2番以降を見ると、回心した彼の歩みの中には、恐れや危険も伴っていましたが、それらに勝る神様の恵みが絶えずあったことがわかります。
罪の大きさに関係なく“神様、許してください。”と、心から神に祈れる人は幸いです。驚くほどの神様の愛を体験することができるのですから。
あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・・(エペソ2:4、5)
2007年03月07日
いつくしみ深き(賛美歌312)
いつくしみ深き友なるイエスは 罪とが憂いをとりさりたもう
心の嘆きを包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を
いつくしみ深き友なるイエスは われらの弱きを知りて憐れむ
悩みかなしみに沈めるときも 祈りにこたえて慰めたまわん
いつくしみ深み友なるイエスは かわらぬ愛もて導きたもう
世の友われらを棄て去るときも 祈りにこたえて労わりたまわん
有名な賛美歌のひとつですが、キリスト教結婚式、あるいは告別式でもよく歌われるので、一般の方々にも耳覚えある曲ではないかと思います。
作詞者であるジョセフ・スクラヴィンは、大変な悲しみの時に、この詩を彼のお母さんを慰めるために書いたと言われています。彼は、事故や病いで婚約者を失うという不幸に二度も見舞われていました。自分自身が一番失意のどん底にあっておかしくない状況で、人を思いやり気遣うことができたのは、神を信じる彼の心の中に、神の愛が絶えず注がれていたからに違いありません。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(第Uコリント1:4)
心の嘆きを包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を
いつくしみ深き友なるイエスは われらの弱きを知りて憐れむ
悩みかなしみに沈めるときも 祈りにこたえて慰めたまわん
いつくしみ深み友なるイエスは かわらぬ愛もて導きたもう
世の友われらを棄て去るときも 祈りにこたえて労わりたまわん
有名な賛美歌のひとつですが、キリスト教結婚式、あるいは告別式でもよく歌われるので、一般の方々にも耳覚えある曲ではないかと思います。
作詞者であるジョセフ・スクラヴィンは、大変な悲しみの時に、この詩を彼のお母さんを慰めるために書いたと言われています。彼は、事故や病いで婚約者を失うという不幸に二度も見舞われていました。自分自身が一番失意のどん底にあっておかしくない状況で、人を思いやり気遣うことができたのは、神を信じる彼の心の中に、神の愛が絶えず注がれていたからに違いありません。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(第Uコリント1:4)
2007年02月27日
慕いまつる主なるイエスよ(聖歌557)
慕いまつる主なるイエスよ とらえたまえ我を
道に迷い疲れ果てし 弱きしもべ我を
風はつのり夜は迫る されど光見えず
御手を述べて助けたまえ 恵み深きイエスよ
胸のうちに安きあらず 今や息も絶えなん
近くまして聞かせたまえ 愛の御声我に
応えたまえ主なるイエスよ 叫び祈る声に
起こしたまえ 立たせたまえ 倒れしずむ我を
「ゴスペルの父」と呼ばれたトーマス・A・ドーシーの名曲のひとつです。
彼の演奏旅行中に妻が出産で亡くなり、子供も助かりませんでした。そのような悲しい出来事の中で、彼が神に対する心を書いた歌です。
私も幼い子供を失った経験があります。幸せとは無関係に思える出来事に出会うとき、神を呪う人もいるかもしれません。でも、どのような現実の中であっても、神様を信じ、祈り、賛美する者には、神がどれほど恵み深い方であるかがはっきりとわかります。
神様もまた、そのひとり子を失った悲しみを知っておられます。私達人間に、神様ご自身の愛を示すために犠牲となったのは、神のひとり子イエス・キリストでした。
この曲はドーシーにとっては最初の大ヒット作となりました。32ヶ国語に翻訳され、今も世界中で歌われています。彼が絶望の中で神から受けた励ましは、彼一人のものではなく、この曲を歌う者すべての恵みとなっている。なんとすばらしいことでしょうか。
道に迷い疲れ果てし 弱きしもべ我を
風はつのり夜は迫る されど光見えず
御手を述べて助けたまえ 恵み深きイエスよ
胸のうちに安きあらず 今や息も絶えなん
近くまして聞かせたまえ 愛の御声我に
応えたまえ主なるイエスよ 叫び祈る声に
起こしたまえ 立たせたまえ 倒れしずむ我を
「ゴスペルの父」と呼ばれたトーマス・A・ドーシーの名曲のひとつです。
彼の演奏旅行中に妻が出産で亡くなり、子供も助かりませんでした。そのような悲しい出来事の中で、彼が神に対する心を書いた歌です。
私も幼い子供を失った経験があります。幸せとは無関係に思える出来事に出会うとき、神を呪う人もいるかもしれません。でも、どのような現実の中であっても、神様を信じ、祈り、賛美する者には、神がどれほど恵み深い方であるかがはっきりとわかります。
神様もまた、そのひとり子を失った悲しみを知っておられます。私達人間に、神様ご自身の愛を示すために犠牲となったのは、神のひとり子イエス・キリストでした。
この曲はドーシーにとっては最初の大ヒット作となりました。32ヶ国語に翻訳され、今も世界中で歌われています。彼が絶望の中で神から受けた励ましは、彼一人のものではなく、この曲を歌う者すべての恵みとなっている。なんとすばらしいことでしょうか。


